
ディズニーランドやディズニーシーの東京ディズニーリゾートは、千葉県浦安市の舞浜にあるのは周知の事実です。
ただディズニーランドは浦安市以外でも、誘致合戦が繰り広げられていたことを知る人は少ないです。
ここではディズニーランドの候補地に関する都市伝説を紹介していきます。
ディズニーランドの候補地が悲惨すぎる
東京から近い浦安市が第一候補だったのは最初から決まっていたと言われています。
ところがアメリカのディズニー本社は、オリエンタルランド社から好条件を引き出すために誘致合戦をさせたと都市伝説になっているんです。
当時、ディズニーランドの候補地として上がっていたのは以下の地域。
- 大鹿村(長野県)
- 清水市(静岡県)
- 御殿場市(静岡県)
- 横浜市(神奈川県)
- 川崎市(神奈川県)
- 我孫子市(千葉県)
- 浦安市(千葉県)
- ひたちなか市(茨城県)
- 盛岡市(岩手県)
最初からほぼ浦安市の舞浜に決めていたのに、誘致合戦をさせるとはえぐいことをします。
特に最後まで候補地に残っていた清水市は悲惨です。結局最後は、富士山が見えるから景観的にNGと言われてしまったんですから。

東京ディズニーランドの生みの親は京成電鉄
ディズニーランドは1960年頃から誘致が行われていたって知ってましたか?
東京ディズニーランドがオープンしたのは1983年なので、それよりも20年以上前から誘致活動が行われていたんです。
いつくつかの企業が誘致していたみたいですが、有名なのは京成電鉄。京成電鉄はオリエンタルランドの母体企業の1つでもあり、現在はオリエンタルランド社の筆頭株主です。
浦安沖を埋め立ててレジャー施設を作る計画をしていた京成電鉄。現在のディズニーリゾートの場所を考えたのは京成電鉄だったんです。

京成電鉄がアメリカのディズニー本社に交渉に行きます。しかし戦争を終え、ようやく高度経済成長に入ったばかりの日本。門前払いをくらってしまいます。
諦めきれない京成電鉄は、カリフォルニアディズニーで写真を撮りまくり帰国。
京成電鉄は、もともと浦安市の隣の習志野市で「谷津遊園」を経営していました。撮りまくったカリフォルニアディズニーの写真を参考に、谷津遊園をディズニー風に改造。
これに怒ったのはディズニー本社。アイデアを盗まれたことと遊園地のレベルの低さに憤慨したといわれています。

これで京成電鉄は、あからさまに真似することはできなくなりました。でも、どうしてもディズニーランドの建設を諦めきれない京成電鉄。
そこで京成電鉄は会社を作ることを考えます。そして誕生したのが京成電鉄や三井不動産などの出資企業「オリエンタルランド」です。ディズニー誘致のために作られた企業と言ってもいいですね。
新しくオリエンタルランドとしてディズニーとの交渉を始める京成電鉄。ここでようやくディズニー側も折れ、浦安市の舞浜にディズニーランドが誕生したというわけです。
京成電鉄が運営していた谷津遊園は、ディズニーランド誕生のちょっと前に閉園。谷津遊園のスタッフの多くはディズニーランドに移籍しています。

京成電鉄がここまで積極的に誘致活動を行ったからこそ東京ディズニーランド、そして東京ディズニーリゾートがあるわけです。
ディズニー好きの私は恥ずかしながら知りませんでした。今さらですが、京成電鉄に感謝ですね。